コンピュータでの作業において困った事
適切な時に適切な情報を思い出す/参照できるようにしたい.
プログラムやデータに実世界的な性質を色々持ちこんでみてはどうか. 利点をいっぱい考えよう.
色々なソフトウェアで,要らないと思ったGUI要素(メニューや警告ダイアログやアップデートの自動お知らせポップアップ)を非表示に設定できる.大抵はそういったGUI要素を右クリックメニューから非表示にしたり,ダイアログなどだったら二度と表示しないというチェックボックスがあったりする.がしかし,再度表示したいと思った時にどこをいじったら良いかわからない.
そこで,GUI要素を格納することができる倉庫の登場.ユーザはその時要らないと思ったGUI要素をそこに移動する.また必要になった時はそこから出せば良いというアイデア.メニューカスタマイズでこれと似た形式のものを見たことがあるが,もっとより広く採用しようよみたいな感じか.
scroll bar は表示量が多い時はほんとに使い辛い.対策として,そもそもの 表示を絞る filtering や,操作部品への工夫がある.
filtering としては
2000年2月号 「LensBar」 http://pitecan.com/UnixMagazine/PDF/if0002.pdf http://pitecan.com/UnixMagazine/
や,Emacs での occur や各種の要約システムなど.Popout prism のような強 調表示 + focus and context も有用だろう.
Popout Prism http://www2.parc.com/csl/projects/popoutprism/
一方,部品の工夫としては,
FineSlider Popup Vernier
2000年10月号 「ピクセルの限界を越えて」 http://pitecan.com/UnixMagazine/PDF/if0010.pdf http://pitecan.com/UnixMagazine/
などがある.
部品への工夫の一つとして,スライダ領域を次のように増やしてゆくのはどう か.
┌────────┐ ├─────── │ │ ───────┤ ├─────── │ └────────┘
また,その他の手法として,検索が挙げられる.そもそも見たいのは一部なの だ.Emacs の incremental search は快適.電子辞書でも incremental search は今や標準ですよね.
49.1.1 インクリメンタルサーチとは何か (2004/01/24) http://www.bookshelf.jp/cgi-bin/goto.cgi?file=meadow&node=isearch%20basic flash 動画あり
様々なソフトウェアで同じような機能が実装されている.検索,拡大/縮小, Undo など.それらをアプリケーションから切り離し,個別の道具として実現 する.
例えば,虫眼鏡アイコンを OS のツールボックスみたいなとこに用意しておき, それをアプリケーションの上に D&D すると検索の実行みたいな.# 全然詰め てないので駄目UIですが.
イメージとしては工具集.それらを組み合わせて様々な処理を実行.現実世界 との対比では,ハサミやセロハンテープやペンを使って行う作業みたいな.紙っ ぽいものならこれらは同様に使える.
対象毎に検索機能が異なっても良いと思うが,大抵,ソフト毎に実装されてい る検索機能はそのソフトに特化して洗練されてはいない.それならばある程度 汎用的に扱える道具があったほうがマシ.その道具がソフトに合わせて変化で きるようにすれば,特化もできる.Polymorphism
道具で道具を修飾とか.
DataTiles: A Modular Platform for Mixed Physical and Graphical Interactions http://www.csl.sony.co.jp/person/rekimoto/datatile/ 暦本さんがやっていたような感じの.
terminal emulator と graphical file manager(Windows の Explorer みたい なイメージ) の融合.GUI の方に CUI を付加してフィルタリングなど. terminal emulator に GUI 的なものを付加するなら,プログラムの出力を GUI でブラウズ,操作など.プログラムの出力は大量だったりして,後から grep によるフィルタリングを追加したりしてるが,それを GUI を使用してや りやすく.ファイルの出力先も同様.出力を別 Window で表示することもでき る.ぐだぐだ.
ビートマニアみたいに難しいものではなく,音量をリズムにのって操作したり する感じの.操作者のノリが大事.曲調をリアルタイムに変化させる.ドラム をもっと激しくとか,音数を多くとか,楽器の変更/追加など.そういった音 は予め用意しておくか,algorithm composition で実現する.
S1 サウンドスコープヘッドフォン Sound Scope Headphone Web: http://staff.aist.go.jp/m.hamanaka/index_j.htm
これをゲーム化、というかそのまま!?
distortion を利用した可視化.
3D可視化.xyとしてはページ image を,z としては注視時間を用いる.色分 けもする.3D は操作が困難か?
┌─────┐ ┌─────┐ │■ o │ │ │ │ │ │ ■ │ │ │ │ o │ └─────┘ └─────┘ 1P 2P
■ : 穴 o : player character
1P側 2P側 の両方共が,お互いに相手の画面が見える.
# つまり,プレイヤには常に2つの画面が見える 自分の player character の移動は JoyPad で行う.
また,相手の画面を見続けると,そこに穴を空けることができて,穴と穴の間 隔が3以内だと穴が繋がる.
■ ■ => ■■■■■
これで,先に相手を落とした方が勝ちみたいなゲームを誰か言ってなかったっけ?
自機は画面左端に固定(上下の移動は自由)で,上下の位置は視線の上下に追従.
動いて来る物を見ることで,その物の動作が止まったり,壊したりすることができる.
次々やってくる物(敵なり,壁なり,つまりは障害物?)を見定めて,うまく止 めたり破壊したりしながら進むというゲーム.
うまく避けられず,敵と衝突したらダメージを受けると.
「コンピュータは、他のいかなるメディア--物理的には存在しえないメディア ですら、ダイナミックにシミュレートできるメディアなのである。さまざまな 道具として振る舞う事が出来るが、コンピュータそれ自体は道具ではない。コ ンピュータは最初のメタメディアであり、したがって,かつて見た事もない、 そしていまだほとんど研究されていない、表現と描写の自由を持っている。そ れ以上に重要なのは、これは楽しいものであり,したがって,本質的にやるだ けの価値があるものだということだ」--『アラン・ケイ』より
アラン・ケイ Ascii books アラン・C. ケイ (著), Alan Curtis Kay (原著), 鶴岡 雄二 (翻訳) http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4756101070/250-5000063-4537031
ちえの和WEBページ:コンピュータ偉人伝:アラン・ケイ http://www.chienowa.co.jp/frame1/ijinden/Alan_Kay.html
インタフェースをデザインするという事はどういうことなのでしょうか。私は メディアをデザインする事と捉えています。ここで言うメディアとは、表現に 用いられる物全てを指します。例えば、絵画におけるキャンバスと絵具、陶芸 における土と轆轤(ろくろ)といった物です。先に挙げたアラン・ケイによると、 私達はコンピュータを得たことにより、メディアをデザインすることができる ようになったわけです。それも物理的には存在しえないメディアさえも…。コ ンピュータは物理的に存在するのですから、一見矛盾しているようにも見えま す。コンピュータはその「内部」に、現実世界とは違った物理法則に支配され ているように見える世界を構築することができるのです。SF映画であるMatrix を想像された方も多いことでしょう。別世界を創りあげることができるのです から、現実世界には存在し得ないメディアを作成することも可能なのです。
# ケイのインタフェースデザインに対する認識は?
ここで、メディアをデザインすることを、そのメディアの性質をデザインする ことと定義することもできます。そうすると、インタフェースデザインとは、 そのメディアとのやりとりの仕方(インタラクション)をデザインするというこ とになります。新しい粘土のようなメディアをデザインする場合でこのことを 考えてみましょう。その粘土の性質、例えば、細く捻ると色が変わるといった 性質をデザインすることがメディアデザインであり、その粘土にどうやって触 れるか(マウスで?キーボードで?メニューで?アイコンで?音声で?)とか、 どうやったら捻れるのかといったことをデザインするのがインタフェースデザ インとなります。
# 例があんま良くない
しかしながら、この考え方はあまり魅力的ではありません。なぜなら、使用者 から見た場合、メディアとインタフェースは区別不可能な場合が多々あるから です。一つ簡単な例で考えてみましょう。コンピュータで絵を描いているとし ましょう。拡大/縮小表示という機能について考えてみましょう。拡大/ 縮小 というのは、インタフェースによって可能になった操作と見るべきでしょうか。 それとも、メディア(絵) 自体が拡大縮小の能力を持つと考えるのが妥当でしょ うか。このような問いから、メディアデザインとインタフェースデザインを区 別することにあまり意味はないと考えるのです。ゆえに私は、インタフェース をデザインするということをメディアをデザインすることと考えているのです。 Winograd の言うソフトウェアデザインも同様のことを意味しています(と思う)。 また、インタラクションデザインが意味するところも同様でしょう。
# 論理展開がまだまだ弱いし、最後の方の文は何?
ソフトウェアの達人たち-認知科学からのアプローチ テリー ウィノグラード (著), Terry Winograd (原著), 瀧口 範子 (翻訳) http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4894717786/250-5000063-4537031
人が創る物の特徴は、表現に用いられたメディアに大きく左右されます。絵画 表現と映画表現の違いを思い浮かべてみて下さい。更に範囲を狭めて、絵画の 世界に限定したとしてもその多大な影響をみることができます。油絵と水墨画 を想像してみましょう。
また、メディアは私達の物事の見方すらも変えてしまいます。
文字文化の新たな段階としての「印刷術」 http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/yamaguci/inet_lec/lec02/McL10.html
* 「非言語的経験形態としての映画は、統語法をもたない陳述形態である
写真と似たところがある。ところが実際は、映画は印刷や写真と同じ
ように、その利用者に高度の識字能力があることを前提としているた
め、非文字分化的な人間を当惑させてしまう。われわれ文字文化的な
人間は、カメラの目が人物を追ったり、それを視野から消したりする
動きを難なく受け入れるが、それは映画を観ているアフリカ人には受
け入れがたいことである。もし、だれかが画面の端から姿を消せば、
アフリカ人はその人物のみに何が起こったかを知りたがる。しかし、
文字文化型の観客なら、線状性の論理を疑うことなく、印刷された像
を一行一行追っていくことに慣れているので、フィルムの連続性を何
の抵抗もなく受け入れるであろう。」(『メディア論』「映画」
p.294-295)
メディア論--人間の拡張の諸相 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4622018977/250-5000063-4537031
なんだか、サピア・ウォーフの仮説を想起させられます。
# ここで、サピア・ウォーフの仮説と同様の仮説をメディアについても立てる # 事ができます。メディアというものが世界の知覚を形作るという仮説です。
# 記号論的にウォーフの仮説を捉えるとメディアについて同様の仮説を立てる # 必要はなさそう。
EP : end-point 科学に佇む心と体 http://am.tea-nifty.com/ep/2004/08/sapia.html サピア=ウォーフ仮説再考
ここでは、メディアが私達に及ぼすそういった影響よりも、メディアによって 可能になる表現・思考について考えてゆきましょう。
# 勿論、世界の把握の仕方と、表現者が行う表現とは無関係ではないでしょう。 # この辺について考える際には、Pinker の論述や認識論や解釈学が助けにな # るのかもしれません。 # 認知意味論のイメージスキーマ。 # ジョージ・レイコフ 認知意味論、レトリックと人生 # マークジョンソン こころのなかの身体 # ジェスチャーもここら辺に関連してくるんでしょうか。 # 勉強不足! 言語を生みだす本能〈上〉〈下〉 NHKブックス スティーブン ピンカー (著), Steven Pinker (原著), 椋田 直子 (翻訳) http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140017406/250-5000063-4537031 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140017414/250-5000063-4537031 ウォーフに対し、Pinker は普遍的な心的言語があるとする説を展開している。
それでは、コンピュータを手にしてから良く見られるようになった表現として はどんなものがあるのでしょうか。CG, Computer Music (MIDI, Algorithm Composition, etc.), Media Art などと多岐に渡ります。これらにより、斬新 な表現が可能になりました。映画・TVや展覧会などで良く目にするため、もう 慣れきってしまっていますが、コンピュータによって可能になった斬新な表現 であったということには同意して頂けると思います。
# ちょっと適当すぎ
思考についてはどうでしょうか(表現するにも思考が必要ですから、区別する にも限度がありますが)。ここで少しメディアの歴史を覗いてみましょう。書 き文字の発明、数字や0の発明、活版印刷術の発明…。これらの発明によって、 人間の知的世界は飛躍的な進歩を遂げました。文学や数学、科学の発達…。こ れらは、文字を記すことができるメディアや活版印刷術というメディアの存在 なくしてはできなかったであろう事です。人間はメディアと言語を操ることに よって、自らが成し得る事を増やして来ました。メディアと言語、どちらがよ りその発展に寄与したかを知るのは不可能ですが、メディアも大きな役割を果 たしたと言えると思います。近代科学の発展は活版印刷術の発明に多くを負っ ていると言われていますし、紙と鉛筆がなければややこしい考えを整理したり するのはより困難であるのは理解して頂けると思います。このように、メディ アは人間の思考活動において大きな役割を果たしています。
# 詰め込み過ぎ、急ぎすぎ、説明不足。 # メディアの反転や回復について触れなくて良いのか。
先程、コンピュータを手にして可能になった表現についてお話ししました。そ れでは、コンピュータを手にしたことで可能になった思考活動というのはある のでしょうか。言い換えると、新たなメディアを手にしたことで新たな事を考 えられるようになったのかということです。あるいは、コンピュータを使う事 で思考能力は向上したのかと表現した方がわかりやすいかもしれません。表現 と思考は密接に関係していますから、新たな表現ができるようになったので新 たな思考ができるようになったと言ってしまって良いのでしょうか。思考とは 何か、新たな思考とは何かといった議論をするのに十分なだけの言葉の簡潔な 定義も欲しくなるところです。
抽象的な隘路に入り込む前に、電卓を使うという具体的な事で考えてみましょ う。私達は電卓を使うことで大きな数の計算を楽々とこなすことができますが、 「私達自身の」計算能力は変わってはいません。私がここで議論しようとして いるのは、こういったことなのです。私はまだこの問いに対して一貫した意見 を持ち得ていないので、幾つかの参考URLを示すに留めたいと思います。
Cognitive Artifacts http://www.cs.umu.se/kurser/TDBC12/HT99/Norman-91.html Donald A. Norman. System View と Personal View
人を賢くする道具--ソフト・テクノロジーの心理学 新曜社認知科学選書 D.A. ノーマン (著), Donald A. Norman (原著), 佐伯 胖 (翻訳), 八木 大彦 (翻訳), 嶋田 敦夫 (翻訳), 岡本 明 (翻訳), 藤田 克彦 (翻訳) http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4788505800/250-5000063-4537031
読書と日々の記録2001.11上 http://www.cc.u-ryukyu.ac.jp/~michita/reading/2001-11a.html ■『実践のエスノグラフィー−状況論的アプローチ3−』(茂呂雄二編 2001 金子書房 ISBN: 4760892834 \4,000) 「ということは,状況論とはパーソナルビューに立つものだといえよう。」
実践のエスノグラフィ 状況論的アプローチ http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4760892834/250-5000063-4537031
タイプライタと社会 http://www.ccad.sccs.chukyo-u.ac.jp/~mito/yamada/chap6/5/ タイプライタの出現が文芸活動に及ぼした影響など。
# タイプライタ 文体 で検索した
日本語をどう書くか 山田著:ヒューマン・インタフェースと脳の科学 http://www.ccad.sccs.chukyo-u.ac.jp/~mito/ 上記はこのコンテンツの一部
メディアの技術史--洞窟画からインターネットへ http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4501530103/250-5000063-4537031 「古代人が狩りの様子を描いた洞窟画から現代人が未来を描くインターネット まで、人間が情報をのせてきた媒体について解説する。」
今、私達はコンピュータというメタメディアを手にしています。そしてそれか ら、新たなメディアをつくりあげることができます。それでは、どのようなメ ディアをつくれば表現の可能性を広げたり、人間の思考能力を高めることがで きるのでしょうか。それこそが、インタフェースデザインを考える上で最大の 挑戦事項なのではないでしょうか。
# 全体のバランスが悪い。肝心な箇所がすっぽり抜けてる。 # 折角書いたから、色々な意見、コメントを期待して公開してみる。 # というかまあ、勉強 and 実践 不足ですな。 # こんなん書くより、インタラクションデザインって何かってのを # わかりやすく述べた文章を書いてみろと。
Cooper のカノニカルボキャブラリー(単純な小数の操作から豊富なイディオム
を生成) を元に考えた.p.40
秀逸な物理法則・理論(マクスウェル方程式など)
現象を十分正確に記述でき,簡潔.無駄な複雑さがない
秀逸な数学の定理(オイラーの公式)
式の形は単純ながらも,広範囲で使え強力(こんな表現でええんか?)
まず,ソフトウェアで扱おうとしている世界について十分知っておく必要がある.
全ての色は3原色の組み合わせで表現できるといったこと.
メディアを操るのに十分な操作体系をつくるべき.それができたどうかはどう
やって知る?
正規言語と文脈自由言語のような記述能力の差.
記号論/意味論(semantics)と関連?
低級言語と高級言語のように,チューリング等価でありながらも
人間にとって習得しやすい・扱いやすい言語と習得し辛い言語.
習得に要する労力と,習得した結果得られる能力.
ある領域で達人になるとは何か
その領域の「言語」をマスターするということなのか?言語って何?
視覚言語しかり….記号論?
メディアとやりとりする中で,自然と「言語」(メディアの特性や操作感・
操作体系?)を習得してゆく?
言語もメディア?(日本語と英語で同じメッセージを伝えられるから.
でもなんか違和感がある)
マクルーハンはどう言ってたっけ…
一つの問題を解くのに複数の方法
代数問題を幾何で解いたり.同型写像とか同相問題? ref. 構造主義
どのように問題を把握するか
新たに「言語」を習得すると世界の切り分け方が増える.
サピア=ウォーフ仮説 と関連?
新たに「言語」を習得すると,問題へのアプローチの仕方が増える
ことになるということ?
新しい表現ができるようになることは手放しで喜んでいいことなんだろう.た
だ,上に書いたように,どのような操作体系をつくるかは良く考える.
完全にメディアを操作することを望む人には,ちょっとプリミティブな体系を
与える.具体的につくりたいものがあるていどはっきりしている人達で,メディ
ア自体とはあまり触れ合いたくないと思っている人達にはちょっと出来合いの
体系を与える.
ベジェ曲線でフォントを一からつくることを前提 - primitive
フォントは一覧から選ばせる - 出来合い
この場合,UIは共存可能
ここまでできて初めて,作業を支援することを考える.
出来合いの体系を使う人達の支援はまだ簡単な方.作業を観察したりして
何が必要か,何をしたら助けられるかを探す.
expert の支援が大変.何を提示すれば良いかわからない.どんな作業に
おいても助けとなるようなものは存在するのか.例えば,Overview and Detail
は万能であるとか.なさそうだ.
色々提示できるようにシステムを組んでおいて,後はユーザに任せるのがよさそう?
ここで言う expert は斬新な表現に打ち込む芸術家Lvの人を指すとする
人を賢くするには
personal view で見ると変わってないというのはどんなメディアでも同じ
紙と鉛筆は思考を支援しているのか.紙と鉛筆を取り上げるとどうなる?
言語をメッセージを伝えるメディアとして考える場合,言語を取り上げると?
だから,system view で良くなってればいいじゃん
知識はメディアと共に存在すると.技能や知識というのは単独では存在し得ない.
使うメディアによって大きく表現が変わってしまう件についてはどうなのか
タイプライタと文体
結局,そのメディアの扱い,表現に特化していっただけ.
つまり,賢さの方向が違うだけでは?(いいすぎ?)
ある問題を解くのに最適のメディアは異なるという認識だけで良いのではないか